建築家・建築設計事務所として広島を中心に建築企画・設計・監理を行っております。

建築家八納啓創が率いる広島市内にある建築設計事務所。TV出演など多数。設計実績は一般建築も含め約140数件。住まい作りを中心に土地探しのことから住まい作りの相談まで、現在月4組まで無料相談実施中。具体的には家族関係のカウンセリングからカルテを作り、さらに風水(FENG−SHUI)を取り入れながらベストマッチした間取りなどを作り上げます。

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八納啓造はどうして建築を志したのか?
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建築家 安藤忠雄氏との出会いでさらに建築の面白さに気付いたんです。

小学校の頃は、サッカー、卓球、バレー、野球の4つのクラブをかけもちしながら、
片やイラストや漫画の描くのが大好きなな欲張り少年でした。

しかし、小学校6年生の時に急性腎炎にかかり、市民病院に半年間入院するはめに。
そして最後には「これから6年間はスポーツは出来ないね」と決定的な一言。

ものすごくショックを受けた反面、意外と冷静に「じゃ、漫画家になる」とその道を目指しました。
そのとき大好きだったのは、漫画家のあだち充さんとちばてつやさん。
藤子不二雄さんの「まんが道」は私のバイブルでした。

しかし、漫画家への道の厳しさを知り、または周囲からの反対もあってその道を挫折しそうになりました。
(※面白いことに今漫画家の友人がいます。そして2005年3月には建築家を志す主人公を描いた漫画の
アドバイスをさせていただきました。因縁めいていて面白かったですよ。)

そういった中、中学校の時に運命を変えるTV番組と出会いました。

 スタッフを殴る。ペン立てを投げる。怒鳴り散らす。それでいて、その人についていくスタッフ。
・・・そうこれは、まだ若かりし頃の建築家安藤忠雄を取材した番組でした。

「怖いなぁ。こんなところには絶対行きたくないなぁ」と思う反面、絵を描く、
そしてそれが実際建物として形になる・・ 非常にあこがれました。
そしてこれは漫画家ではなくても絵を描いて食べていける!と子供ながらに思ったものでした(笑)。

そういったこともあり、大学では建築学科に進学。そして大学3年生の春に思いがけない出会いがありました。

同じ大学に、安藤忠雄建築研究所でアルバイトをしている先輩女子学生がいると聞き、
私は早速その女子学生に会いに行き、事務所の電話番号を聞きだし、アルバイトをさせてもらえるかどうかを聞いてみた。

その女子学生は「今、アルバイトもいっぱいだから難しいのじゃかいな?」と一言。

でも、そこでやる気がメラメラと沸いてきて「これも何かの縁だ。絶対にアルバイトしてみせる」と強く思ったのです。

そしてそれから、事務所に電話。
はじめは「あぁ、今はいっぱいだからいいよ。」とあっさり断られました。
でも、今振り返ればぜったいあきらめなかった自分もすごいと思います。

それから毎日のように電話して、2週間後「じゃ、あなたのやる気は分かったから来なさい。」とスタッフからの答え。
  
そして幸運にも、念願の安藤忠雄建築研究所に侵入することに成功したのでした。(笑)
 
当時広島の大学に通っていた私は、春休みなどを利用して、実家の神戸から大阪に通い日々建築に没頭しました。

ただ、事務所でやったのは、ひたすら模型づくりばかりでした。
しかし、週に2〜3回の、安藤忠雄さんとスタッフとのミーティングに参加させてもらいました。
実はこのミーティングが一番面白く、建築家安藤忠雄氏の人生哲学というものに触れたような気がしました。
そしてそういった中、約40日間のアルバイト生活を終え、学校生活に戻りました。
その後学校に戻ってから、驚いたことに今までの自分と違うことに気がついたのです。
「いつか、必ず安藤忠雄さんのような建築家になろう!そして人の人生にインパクトの与える人間になる!」
という情熱がメラメラと燃え始めたのでした。

・・・今から27年以上も前の話です。

ただ、このことがきっかけで、建築に対する「情熱」と言うものは年々増すばかり。
「いかに人の心を震わせる建築を作れるか?」そればかり考える日々が続きました。

その間、住宅以外にも、美術館や体育館、町の物産館、学校施設、病院など
50数件に及ぶ設計経験を積み重ねてきました。

そしてその後、設計事務所での修行期間を経て33歳で独立。
ここから建築家八納啓造の人生が始まりました。

「人の人生にインパクトの与える建築家になる。」
それが、建築家 八納啓創の第一歩でした。

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